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承久軍物語

六月〈◯承久三年〉十二日、海道の大将さがみのかみ時房、せたのはしちかくおしよせ、野路にぢんおとりたまふ、はやりおの兵ども河ばたにおしよせみれば、橋いた二けん引おとし、かいだてかきて山田次郎お大将として、山法し少々ぢんおとりたり、さがみのかみの手のもの、はしみの太郎、さヾめの二郎、はや川三郎以下、はしづめにおしよせてたヽかひけるが、かたきにてしげくいしらまされて引しりぞく、二ばんに江戸の八郎、あだちの三郎、さぬきの太郎三人、けたおわたりてむかひにつかんとしけるが、あまりにつよくいられて二人は引しりぞく、あだち三郎はよろひよかりければ、しばしさヽへていたりしかども、てしげくいるほどに、これもこらへかねて引しりぞく、三ばんにむら山とう八人、けたおわたりけるが、それもいしらまされて引しりぞく、四ばんに廿人つれたる兵、はしげたおわたりて、かいだてのきはまでせめよせたり、かたきさしづめ引つめいけれども物ともせず、その中にくまがへ平内左衛門、くめのさこん、いはせのさこん、同五郎兵へ、こえづかの平太郎、よしみの十郎、しそくの小次郎、ひろた小次郎、たちおぬひて三のかいだておきりやぶつて、しころおかたぶけせめよするお見て、山法し一たヾかひもせず、さつと引てのきにける、