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信長公記
十五
天正十年六月二日、〈◯二日、大閤記作四日、恐非〉明智日向、〈◯光秀、中略、〉其日京より、直に勢田へ打越、山岡美作、山岡対馬、兄弟人質出し、明智と同心仕候へと申候之処、信長公之御厚恩不浅忝之間、申同心申間敷之由候て、勢田の橋お焼落、山岡兄弟居城に火お懸、山中へ引退候、援に而手お失ひ、勢田之橋づめに足がヽりお拵、人数入置、明智日向坂本へ打帰候、〈◯又見太閤記〉