[p.0326][p.0327]
視聴草
五集六
藤橋之記 工みお積て佳景となるもの、其品多き中に、わきて称歎すべきは其隻橋なるべし、援に飛騨国高原なる舟津の流れは、北海より十六里の水上にして、渓ひろければ橋おわたさん方便もなく、巌聳へぬればふねおよすべき岸根もあらず、かくこえがたき処なるに、そも藤橋お掛そめし昔お思ひわたるに、彼虹お見て橋お造りし類ひにして、張絹にならふて藤かづらお織立、目なれぬはしおいとなみ、千里往来の便とはなしぬ、実にはじめてわたる人は、その動お見てはその危きお思ひ行て、目まい股おのヽきて、這ふて渡るも多しとぞ、処の人は重きお担ひあるは戴き、男も女も手お懐にして、大路お過るにひとし、是なん自然馴たる風情なるべし、夫橋の興あるや、花見の貴賤は土橋に戯れ、納凉の老若は欄干橋に吟ふ、紅葉は石ばしに堆く、霰は反ばしにまろびて四時の風流お調へ、駟馬の車に乗らずんば再び過じと、相如が筆おとりしも橋柱にして、鵲は星の為にわたせる橋となり、舟橋は大河に鳴り、その橋々の徳あるや些からず、かヽる風致おあやつるにもあらず、来るおむかへ去るお送る消魂橋の真似もせず、隻山賤のすさびにして、世上に等類なからむお啖らかすも一咲ならんか、昔時大化の孝徳帝、詔して掛たまひし長柄のはしも限りありて朽ぬれば、むなしく名のみ残りたるに、藤ばしの常盤なるは、藤三千貫目、あまたのちからして綴なし、一とせに一度づヽ替え〈◯え上恐脱た〉せしときなく、通路に自在お得るのみならず、しかもまた郷里の一壮観とはいふなるべし、〈予〉もまた此地に杖お曳、月日おふる程に、此はしの来由おかいつけぬるは、異なる風姿お四方のかしこき人々に告てんものおといふ事しかり、 宝暦甲申の春、蒲公英の主滄淵みだりに記す、 藤橋や花ぬすむ気は流れ行 滄淵