[p.0328]
倭訓栞
前編六加
かけはし〈◯中略〉 一書に吉蘇碊長八十二丈と見ゆ、塩尻に伊奈川の橋二十三間余、木襲第一の長橋也、柱なく三重のはね木お両岸より出し、中の水尾桁九間持はなし懸れり、水際に至り、五間三四尺ありと雲へり、又昔は荻原沢といふ谷あひに、大木お鎖にてほり渡したり、八九十年前まで其鉄鎖きれ残りてありと古き者語りし、今のかけ橋にはあらずともいへり、元明紀に、昔信濃、美濃二国の間、嶮阻にして通路なかりしかば、かけ橋おかけて通路ありし事見ゆ、一書にいふ、岩井野村のかけ橋、長さ七十五間、欄干つきし所五十一間、石垣十四間、是慶安中造る所也と見え、宇治物語に、守の乗たる馬、しもの橋の鉉の木、あとあしもて踏折てと見えたるは、昔は藤蔓おもて板お縛し、大鉄鏈もて桁とす、近世は尋常の橋の如くにて、橋杭なきのみといへり、