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沙石集
三終
小児之忠言事 信州に中昔或人京より人お思て具して下てける、京に物申人あまた有けるが、便に文お下しおこせけるお、あまた有けるお、隠しおきたるお、かヽる事なんありと告知する者有ければ、夫是お尋出して我れは物もえ書かず、読まざりけるまヽに、子息の児戸隠の山寺に有けるお呼て、母の前にて誦せけり、母、色お失て肝心も身に傍ぬ体也、此児心有る者にて、隻よのつねの文のやうに和げてあまたの文お読てければ、人の和讒也けりと思て止ぬ、此継母あまりに嬉く思て、いたひけしたるもてあそび物取具して文お遣ける、 しなのなるきそぢにかくるまろき橋ふみ見しときはあやうかりしお、此児返事、 しなのなるそのはらにこそ宿らねど皆母きヾと思ふばかりぞ、彼憫子騫に似たり、梵網の文にも逢て哀なり、一切の男子は皆我父、一切の女人は皆我母也と、説けるにたがはぬ心なるべし、あはれ成ける心ろなるべし、