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藤浪記
めぐり〳〵て桟に到る、此橋高き山の腰に傍て、家の壁に棚お釣れるやうに渡して、川おば右になせり、其谷川の深さは千仞もあらんと見ゆるに、水上遥に眺やれば、岩の上に走りかヽる水、千々の糸お乱せるやうに最白く脹れり、其様実に妙にして、水なる哉ともいはまほし、橋より下お指覘ば、左右に大なる岩の白きが幾らともなく重り出て、中は千尋の淵深く、さながら藍の色なるは、誰が家にか染出せると見るも怪くおかしきに、川の向に聳る山の木立茂りて巌嶮きは、何れの工が削なせると又興ありて覚ゆ、昔は此桟山に傍て桟お渡ること一町許なりしお、今は山際お石垣に築て道となし、桟は僅に十間許もやあらん、川の方には欄干あり、橋の爪に高さ三十丈許なる岩の嶮しきお、少削て鐫れる文あり、此石垣、慶安元戊子六月良辰成就焉畢と雲雲、此所は尾張亜相義直卿知召所なり、旅人の患お労はらせ玉ひ、かく営築せ玉ふは、いみじき国の御政にこそ、いと目出たし、