[p.0334]
信濃地名考

久米路の橋 援に水内(みのうち)ばしあり、〈更級郡八幡西北二十里〉土人撞木橋ともよべり、むかし神仙あまくだりて掛そめたりといふ、其奇巧言葉に絶たり、此地両山はなはだせまり、犀河の水たぎりて落、かの北崖の半腹おうがちて、梯酉より卯の方へ行事五丈四尺、それより曲りて南へ大橋おわたす、長さ十丈五尺、広さ一丈四尺、欄基の高さ三尺、橋と水とのあひだ、尋常の水にて五丈余にいたる、碧沈盤渦見るに肝すさまし、巧匠相つたへて七とせに一たび改造る所なり、按、いはゆるくめぢの橋は是なるべし、地理に拠に、東に氷熊(ひくま)てふ村みゆ、熊は隈の借字、隈と久米は同じ、〈倭名抄、大和国檜前、和名比乃久米、又ひのくま、ひのさきとも、〉此地いにしへひのくまぢに出たる名にや、〈日本紀、矩磨埿(くまち)、万葉路乃久麻尾(び)とよめり、〉いづれにも路のくまべの橋なれば、来目路の名むなしからず、〈雄略紀、久目河に作る、来目久米通用なり、〉