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日光山志

神橋 上世当国の国司橘利遠が、勅お奉じて板橋に造立せしは大同三年の事にて、夫より星霜お経ること凡八百有余歳にして、大神祖君御鎮座以後、寛永六己巳年御修造お加へ給ふ、同十三丙子年新規に御造立の結構は、長拾四間、幅三間、左右前後の欄干ともに総朱塗、擬宝珠滅金、其余手摺かなもの皆同じ、橋の裏板行桁は黒塗、両方の入口に欄楯お設け、金鎖して通行お禁じ給ふ、両岸に大石お削て柱となす、万代不易の石柱なり、同年四月東照宮二十一回御忌、京都より御摂家門跡方、其余月卿雲客下向の時、三条実条卿下向ありて、 山菅のかけて危き古橋お石お柱にわたる御代かな〈◯中略〉 神橋御渡初御供養の御導師、ともに天海老大僧正なり、此度美麗に御造立有しゆえ、諸人の通行には仮橋お其儘に架しおかれて常の往来とせられ、神橋は将軍家御登山の砌のみ渡御なし給ふとぞ、 仮橋 神橋より二十間程東の方に架す、両岸より材木お組出し、柱なく、欄干附板橋長十四五間、幅二間余、牛馬通行の患なし、