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東遊記

九十九橋〈◯中略〉 越中の神通川は富山の城下の町の真中お流る、是又甚大河にして、東海道の富士川抔に似たり、水上遠くして然も山深く、北国のことなれば、毎春三四月の頃に至れば、雪解の水殊の外に増来りて、例年他方の洪水のごとく、常に南風に水増り、北風に水減ず、是は南より北の海へ落る川ゆえなり、かくのごとく毎度洪水あり、其上に急流なれば常体の橋お懸る事協ひがたき川なり、されば舟橋お懸渡すことなり、先東西の岸に大なる柱お建て、その柱より柱へ、大なる鎖お二筋引渡し、其鎖に舟お繫ぎ、舟より舟に板お渡せり、其舟の数甚多くして百余艘に及べり、川幅の広き事おもひやるべし、其鎖のふとく丈夫なること誠に目お驚せり、鎖の真中二所程繫ぎ合せし所ありて、其所に大なる錠おおろせり、洪水の時切る所なりと雲、両岸の柱のふときこと大仏殿の柱よりも大なり、追々にひかへの柱ありて丈夫に構へたり、鎖につなぎて舟お浮めたることゆえに、水かさ増るといへども、其舟次第に浮上りて危き事なく、橋杭なきゆえ橋の損ずることなし、然れども誠に格別の大洪水の時は、此舟の足にせかれて、両方の町家へ川水溢れのぼるゆえに、やむことなくて此鎖の中程お切ることなり、其舟左右に分れて水落るゆえ、水かさ減ずるとなり、然れども此鎖お切る時は、跡にてまた鎖お継事、莫大の費用あるゆえに格別の洪水にて、町家の溺るヽ程の時ならでは切る事なし、此舟橋も亦一奇観なり、もろこし黄河などにも晋の時分、舟橋お懸られしといふ事聞及べり、いかなる大河急流なりとも、用いらるべき橋なり、越前福井の舟橋〈◯中略〉又奥州南部の城下にも舟橋あり、是も大なれども、越中の船橋に不及、舟橋のある所天下に右三箇所なり、其内越中お第一とすべし、