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西遊雑記

錦帯橋は世に名高き橋にて、能たくみし懸やう也、相伝ふ、吉川監物殿といひし人〈今の城主より四代以前まで、此橋かゝりて百二三十年計と土人物語也、〉の工夫にて懸はじめ給ふといふ、川の流れ強き故に、橋杭ほれ流れてもたず、此故に水底お切石お以て三重にたヽみ、橋台も切石にて剣先につみあげ、敷石も橋台も石の杖杵にて、こと〴〵くとぢて一石の如くにつぎ合て、橋台に深き穴おほりて、其穴へ鉄のはしらお入、かくの如くさしこみ、左右より其鉄の端と端とへ木お渡して取立しもの也、下に行て見るに、鉄おば木にてつヽみてあれば、上のかたへは少しも見えず、猶橋掛替の時は、幕お引廻して、人の見ぬやうにしてかけかへる故に、所の者にても委しくはしらず、予は故ありて此町に知れる人の方に止宿して、能々聞正したる事也、秘し給ふべき事にあらず、是程の工風は、智ある人は考へ出すべき事なり、