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視聴草
五集六
飛騨国白河籠之渡 此河広さ六七十間も有べし、其傍の岩の鼻より、獼猴藤(しでふぢ)お一筋、向の岸まで引渡し、一つの輪お造りて其中に人お乗せ、能とりつかせ置、細き縄にて川の向へ引渡すなり、此河淵高く、渦巻く水青く、詞に尽しがたき危難の所なり、此渡籠お引寄するに二つの名あり、上人引(○○○)といふは、そろ〳〵と引、代官引(○○○)と雲は強く引なり、引やうにより、殊の外ゆれて危く覚ふ、偖引渡しお藤の中程にて、たはみたる所より水際まで、十間ほどもあるべし、輪の中にて、ふと手お放す時は、底も知らぬ淵へ落て死す、越中へ行に此所お渡れば甚近し、廻り道おすれば七日路のちがひなりといふ、籠のわたしの詠はあまた有ながら、句々の始末おわすれしに、今その耳に残りたるおしるす、 汗こほる籠のわたしや夢ごヽろ 〈いせ〉八菊 蜘蛛の振舞するや籠わたし 〈金沢や〉素心 籠のわたし汗は我乳のあたりにも 〈富山〉麻父 若葉にも千尋のかげや籠渉 〈東武〉主芳 かごのわたし右左から笑ふ山 〈高山〉滄淵