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閑田耕筆

飛騨の人田中記文といふが訪来て、其国の藤ばし、かごのわたりのことおかたり、且記せるものお示さる、〈◯中略〉籃(かご)のわたりは、古城郡中山村に在て神通川に架す、〈◯中略〉籃渡とは橋にあらず、西域伝にいへる度索といふもの歟、其地両崖絶壁にして、河の流れいちはやく、水に航すべからず、岸に橋すべからず、故に大索三筋お張て岸に架し、懸るに小籃おもてし、人其中にうづくまるお、籃に両索ありて、前岸曳之、後岸送之、南北より相助、からうじて渡る、土人は男女おいはず、手おもてみづから索おたぐりて、たやすく行かひすること神のごとし、籃は木お揉めて幹とし、底は藤おもてめぐらし、編こと蜘のあみお結ぶがごとし、三の大索、月毎に一筋お更るといふ、其往来のしげきこと知るべし、飛騨より越中に行道あまたあれど、此道便なればとかや、此余椿原荻町、共に此国大野郡にして、此籃もて度ること同じ、荻町は其地ことに険隘、其河渡使、しかも東岸高く、西卑ければ、階梯おたてヽ、登りて籃に就、椿原は是よりも猶危しとぞ、記者中山お賦せる古詩の歌体長篇あれど、事繁ければ洩しぬ、いにしへ衣笠内府の御詠とて、其所につたふるは、徒にやすく過来ぬ山藤のかごのわたりもあれば有物お、おのれにも歌おこはれて、とみに口ずさむ、 波分しまなし堅間のふることも斐太にありてふ渡りにぞ思ふ