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二十四輩順拝図会
三越中
此所〈◯人形山〉美濃、飛騨、越中三け国の境にして、嶮山並び聳、いふばかりなき難所也、其中にいとも高く秀たる峻嶺お五箇山といふ、此嶮山の中に大河あり、雄神川(○○○)といへり、〈◯中略〉不通の大河にして、しかも両方の岸高く聳、屏風お立たるがごとし、渡りの橋お設くる便なし、藤蔓お以て其太さ二尺廻りの大綱お作り、川の両岸に引渡し、ひとつの籠お彼大綱にかけて、才に往来の便とす、しかれども絶壁高くして、藤綱は数十丈の上に有故に、此大綱より梯子お河端に釣さげ、河お渡らんとする人は、先此梯子お逆上るに、大綱たはみ梯子ゆらめき、川風山颪などに吹漂され、西に東に打なびきたるは、誠に蜘の糸おのぼるがごとく、危き事限りなし、辛ふじて上なる大綱に取付て、彼籠の中へ身お納め、扠登りし梯子お離るヽや否や、身の重みに大綱たはみ、矢お射ごとく三四十間落下りて、大綱の真中に鎮(しづ)と成り、動揺震ふ事猶甚し、此時眼くるめき魂消へ、殆ど人事お忘却す、実に天下第一の行路難、蜀の桟道、木曾の掛橋はいふにも足らず、人伝の物語りに聞さへ冷敷に、此所に生立し土人は、常の事に習ひて、さは恐しからぬにや、米などお脊に負ながら、此藤梯子おのぼり、難なく向ふの岸へ通ふよし、都の人の夢にだに為すべき業にはあらず、扠それより手藤(てふぢ)といふ細き藤綱お大綱へ打かけ、ひたすらたぐり登るに、やヽもすれば気労れ腕弱りて、此手藤お大綱へ掛損じ、忽ち後さまに旧の真中へ戻る事多しとかや、此川筋に籠の渉り十一け所有といへども、此五箇山のわたりなん、河幅八十間に余り、大綱も高く半空にかヽり、渡り難所なり、〈◯下略〉