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幕府制度
宿々被下米并御扶持米の事 天竜川 一二十人扶持 船頭扶持方 右は天竜川渡船役相勤候ものへ、御扶持米被下之、 天竜川渡場 一米五十五俵 肝煎 但三斗五升入 右は元禄十四巳年、池田村のもの共被下候、御直御判の御書付お以て相願、吟味の上御救米被下之、 富士川 一二十人扶持 船頭扶持方 右は元禄四午年より十人扶持被下候処、其後十人扶持相増、都合二十人扶持被下之、馬入川 一十人扶持 渡船役之者 右は馬入今宿松尾下町屋荻園五個村にて、昼夜十六人宛罷り出相勤候に付、寛文六午年より右御扶持米被下之、