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袖中抄
十九
はヽき木 そのはらやふせ屋(○○○)におふるはヽき木のありとはみれどあはぬ君かな〈◯中略〉 陽成天皇元慶四年雲、弘仁十三年国分寺尼法光為救百姓済度之難、於越後国古志郡渡戸浜、建布施屋、施墾田四十余町、渡船二隻、令往還之人得其穏便、〈◯中略〉今按に、信濃国その原と雲所に、ふせやと雲所の別にあるかとおもふに、布施屋とて所々につくれるにこそ、されば信濃国そのはらにも、この布施屋おたてたりけるにや、又俊頼朝臣田家秋興歌、 山田もるきそのふせやに風吹ばあぜづたひしてうつヽおとなふ 是は谷のふせや、しづのふせやなどいふ体歟と存ずるに、信濃の岐阻にも、かの布施やあるにや、又きそ、そのはら相近といへり、又信濃国には、あなおほりて、ふきいたのかた〳〵おば、土にうづみて、かた〳〵に口おあけてぞおりのぼる、冬雪のふかきおりの道といへり、それおもふせやとぞ申なる、〈◯又見河海抄〉