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太平記

長崎新左衛門尉意見事附阿新殿事 阿新は、竹原の中に隠れながら、今は何くへか遁るべき、人手に懸らんよりは、自害おせばやと思はれけるが、悪しと思ふ親の敵おば討つ、今は何もして命お全して、君の御用にも立、父の素意おも達したらんこそ、忠臣孝子の儀にても、あらんずれ、若やと一まど落て見ばやと思返して、堀お飛越んとしけるが、口二丈、深さ一丈に余りたる堀なれば、越べき様も無りけり、さらば是お橋にして渡んよと思て、堀の上に末なびきたる呉竹の梢へさら〳〵と登たれば、竹の末堀の向へなびき伏て、やす〳〵と堀おば越てけり、夜は未深し、湊の方へ行て、舟に乗てこそ陸へは著めと思て、たどる〳〵浦の方へ行程に、〈◯中略〉孝行の志お感じて、仏神擁護の眸おや回らされけん、年老たた山臥一人行合たり、此児の有様お見て、痛しくや思けん、是は何くより何くおさして、御渡り候ぞと問ければ、阿新、事の様おありの儘にぞ語りける、山臥是お聞て、我此人お助けずは、隻今の程に、かはゆき目お見るべしと思ければ、御心安く思食れ候へ、湊に商人船共多く候へば、乗せ奉て越後越中の方まで送付まいらすべしと雲て、足たゆめば、此児お肩に乗せ背に負て、程なく湊にぞ行著ける、夜明て便船やあると尋けるに、折節湊の内に、船一艘も無りけり、如何せんと求る処に、遥の奥に乗うかべたる大船、順風に成ぬと悦て、檣お立て篷おまく、山臥手お上て、其船是へ寄てたび給へ、便船申さんと呼りけれども、曾て耳にも聞入ず、船人声お帆に上て、湊の外に漕出す、山臥大に腹お立て、柿の衣の裾お結て肩にかけ、奥行船に立向て、いらたか誦珠おさら〳〵と押揉て、一持秘密呪、生々而加護、奉仕修行者、猶如薄伽梵と雲へり、況多年の勤行に於ておや、明王の本誓あやまらずは、権現、金剛童子、天竜夜叉、八大竜王、其船此方へ漕返てたばせ給へと跳上々々、肝胆お砕てぞ祈りける、行者の祈に神に通じて、明王擁護やしたまひけん、奥の方より俄に強風吹来て、此船忽覆らんとしける間、船人共あはてヽ、山臥の御房、先我等お御助け候へと、手お合せ膝おかヾめ、手々に船お漕もどす、汀近く成ければ、船頭船より飛下て、児お肩にのせ、山臥の手お引て、屋形の内に入たれば、風は又元の如くに直りて、船は湊お出にける、其後追手共、百四五十騎馳来り、遠浅に馬お叩へて、あの船止れと招共、舟人是お見ぬ由にて、順風に帆お揚たれば、船は其日の暮程に、越後の府にぞ著にける、阿新山臥に助られて、鰐口の死お遁しも、明王加護の御誓、掲焉なりける験也、