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勢陽五鈴遺響
桑名郡四
桑名渉 同府〈◯桑名〉の東北より尾州愛智郡熱田駅にいたる、海路七里余、東街道の官道なり、俗桑名の渉と雲、〈◯中略〉船の岸に纜す処お船場と称し、大鳥居一基お建、及船標的の為に灯籠お挑げ置り、又看監所あり、乗船の料お看板に書して掲ぐ、人馬及行李に其直の貴賤あり、定則とす、又諸侯公卿東関往還するは、城主より官船お装て饗せらる、勢陽雑記雲、天武天皇舟装して尾州熱田へ渡御なり、是ほどの渡海も、今お始めなれば、著岸お待わびさせ玉ひ、間遠の渡り哉と宣ひしより、此処お間遠の渉りと申すなり、〈◯中略〉雑記所載、 有明の月に間遠の渡りして里にいそがぬ夜半の舟人、後世方輿お誌すものヽ常言とす、然れども其集及作者お不知、伊勢名所拾遺等にも不載処也、今詳にするに、雑記の間遠の渉と称し、〈◯此間恐有誤脱〉然れども日本書紀等の国史に不載俗名なり、又古屋草紙、及拾遺、背書国誌、勢陽俚諺等、各間遠の渡の名お設くかこの渉りは春曙記に拠るなるべし、