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後法興院記
明応七年(○○○○)八月廿五日己丑、辰時大地震、 九月二十五日、伝聞、去月大地震之日、伊勢、参河、駿河、伊豆、大浪打寄、海辺二三十町之民屋悉溺水、数千人没命、其外牛馬類不知其数雲々、前代未聞事也、 ◯按ずるに、実隆公記、親長卿記、御湯殿上の日記、妙法寺記等の書に拠るに、遠江の海の溢れて荒井崎お壊り浜名湖と通ぜしは、蓋し明応七年八月廿五日の事なるべし、然るに前条に載する所の遠江国風土記伝、及び東海道名所図会に、之お以て明応八年六月十日の事と為せるは誤れり、さるは滋歳地震ありしこと、右二書の外に一も所見なきのみならず、当時此地に遊びし飛鳥井雅康の手記に係れる富士歴覧記お検するに、絶て地震の事お言はざればなり、