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梅松論

今年建武二年には、御所尊氏直義〈◯中略〉御入洛、〈◯中略〉海道は山河の間に、足がヽりの難所に付、合戦治定有べしと覚えし処に、天竜川の橋おつよくかけて、渡守お以て警固す、〈◯中略〉橋おば誰か沙汰して渡したりけるぞと尋ねられしかば、渡守共雲、此間の乱に、我々は山林に隠忍候て、舟どもおば所々に置て候ひしに、新田殿〈◯義貞〉当所に御著有て、河には瀬なし、敗軍なれ共大勢なり、馬にて渡すべきにあらず、又舟お以渡さばおそくして、味方お一人成ともうしなはん事不便なるべし、いそぎ浮橋おかくべし、難澀せしめば、女等お誅すべしと御成敗候しほどに、三日の間に橋おかけ出して候なり、