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東遊行囊抄

大堰川遠駿の堺也、川原の間、凡廿余町、北より南へ流て大洋に入、海に近し、水上は甲信の山々より流出る、水常に濁て水底に石お流す、其逸きこと普通に超たり、日夜瀬替りて常に不定、故に昔より船なし、南風に水増し、北風に水減ず、東海道第一の難所也、〈◯中略〉常には川越(かはごし)と雲者ありて、交易の人お扶助し、渡して価おとる、