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東海道名所図会

大井河〈或は大堰川、又は大猪河とも書す、渡口金谷の駅の北にあり、◯中略〉 此大堰川は、東海道第一の急流の大河にして、薫風(みなみかぜ)にはみかさおまし、穴師(あなし)〈◯西北風〉吹ぬれば水落る、いにしへより、舟なく桴なく橋無うして、ゆきヽの人は、島田金谷の川越所に立寄て、何文川の定めお聞て、其賃おわたし、割符お取て、渡丁に越さしむ、蓮台、肩車(かたぐるま)などの両品ありて、交易の賈人、京登り、吾妻下り、伊勢まいり、富士詣など、八人懸の台に乗られ、又は肩車にて渉すもあり、相撲の関取は、人お雇はず、自ら丸裸に成て、土俵入の如くわたるもあり、水勢ちからにや劣りけん、波は左右へ別れける、卿相の雲客、列国の諸侯は、駕お台に居て、多くの役夫おもつて舁渡す、水堰(みづせき)の傭夫は、前後に囲ひ、急流に足お揃へ、声お合て渉す、紅葉ちり時雨する頃は、水落て冬川の寂しきに、渡丁は弱り、みかさます夏河お質に入れかしかりの沙汰、羅山子いへる如く、己が草の戸は流るれども、首だけの借銭お納して、五月雨の水に威おまし、下り酒の菰お解て、所々に宴す、島田金谷の渡丁、都て七百人なり、霖雨降止ずして、みかさましぬれば、河止(かはどめ)とて、東西の駅中、所せくまでふたがり、一駅二宿も跡へ戻りて、水の落るお待もあり、又色尾より渉りて、藤枝へ出るもあり、なお此行先に安部川、富士川、酒勾、馬入、六郷などいふ川々あり、みなこれに准べし、〈◯中略〉 乙卯仲夏、従東関帰路、憩島田駅長大久保氏家、主人指麾大井川渡丁、其芳志殆厚矣、 光らして水の上行蛍かな 籬島