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太平記
十三
足利殿東国下向事附時行滅亡事 路次数箇度の合戦に打負て、平家〈◯北条氏〉やたけに思へ共不協、相模河お引越て、水お阻て支へたり、時節秋の急雨一通りして、河水岸お浸しければ、源氏〈◯足利氏〉よも渡しては懸らじと、平家少し由断して、手負お扶け馬お休めて、敗軍の士お集んとしける処に、夜に入て高越後守二千余騎にて上の瀬(○○○)お渡し、赤松筑前守貞範は中の瀬(○○○)お渡し、佐々木佐渡判官入道道誉と長井治部少輔は、下の瀬(○○○)お渡して、平家の陣の後へ回り、東西に分れて同時に時おどつと作る、