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異本曾我物語

建久四年癸亥五月下旬の比、十郎助成、五郎時致、兄弟打つれ、曾我の屋形お出て、〈◯中略〉二人打つれ箱根路へとぞかヽりける、鞠子川お打渡るとて、十郎申けるは、和殿三歳、助成五歳より、曾我の里に住初て、廿有余まで、此川お渡らぬ日はあれど、渡らぬ月はよもあらじ、如何なれば、今日水さへ濁て、渡る瀬も見えざる事かと雲ければ五郎是お聞、いまだしろめさずや、罪人河お渡れば三途の水濁ると承る、我等が為には鞠子川こそ三途の大河、箱根の御山こそ死出の山よ、鎌倉殿は閻魔王、敵に逢ん所こそ閻魔の庁よ、数千人の武士共こそ、牛頭馬頭阿修羅刹にてあれとて打瀬しける、十郎向の岸に打上りて、 五月雨に浅瀬も見えぬ鞠子川波にあらそふ我なみだ哉、五郎も同じく、 渡るより深くぞ頼む鞠子川親の敵に逢瀬とおもへば