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昆陽漫録

石浜 橋場の法源寺に、〈◯註略〉古き石碑どもあり、〈或人の雲く、先年地中よりほり出だせり、〉その内の大同元年の碑に、砂尾石浜道場とあり、〈◯中略〉按ずるに、今砂尾山不動院橋場寺と雲ふ寺、橋場にあれば、古の砂尾石浜は、橋場なること疑なし、今橋場の土人、橋場お宿と雲ふものあれば、古の奥州道にて、こヽより隅田川お渡り、石浜お宿としたるべし、〈◯中略〉さて今お以て見れば、砂利場の近くなるゆえ古は隅田川石川にて、橋場は石浜とみゆ、橋場の川向の北の牛田〈本は丑田と書くと雲ふ〉と雲ところの悪水おとしの広さ十間余の川お、土人古隅田川と雲へば、地変じて川の流、古と異なること明なり、〈◯註略〉凡そ川の広狭深浅緩急、変地によりてかはり、高岸為谷、深谷為陸なれば、古の石川、今は泥川となり、向ふ岸くづれて卑くなりたるべし、古は橋場より渡りて、川甚だ大きなるにや、又橋場は石浜ゆえ、余程石浜お往きて渡るにや、今は地変によりて、橋場より直に渡るにや、しるべからず、