[p.0457]
義経記

よりともむほんの事 ぢせう四年九月十一日、むさしとしもつけのさかいなる、まつどのしやう、いち河といふ所に付給ふ、御せい八万九千とぞ聞えける、こヽにばんどうに名おえたる大河一つ有、此河のみなかみは、上野国とねの庄、藤はらといふ所よりおちて、みなかみとおし、すえにくだりては、ざいご中将のすみだ河とぞ名付たる、うみよりしほさしあげて、みなかみには雨ふり、こうずいきしおひたしてながれたり、ひとへにうみお見るごとく水にせかれて、五日とうりうし給ひ、すむだのわた(○○○○○○)り、りやうしよにぢん取て、やぐらおかき、やぐらのはしらには、馬おつないで、げんじお待かけたり、〈◯中略〉すけ殿〈◯源頼朝〉仰られけるは、江戸の太郎、八かこくの大ふく長者ときくに、よりともがたせい、此二三日、水にせかれて、わたしかねたるに、みづのわたりに、うきはしおくんで、よりともにかせいお、むさしのくに、わうじ、いたばしにつけよとぞの給ける、〈◯中略〉さてこそ、ふとひ、すんだ、うちこえて、いたばしにつき給ひけり、