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燕石雑志

浅草の事実 駒掛堂、〈◯中略〉按ずるに、竹町の渡お昔は花方の渡しといへり、これは並樹(なみき)の桜あるかたへ渡るといふ義おとりて、花方の渡しと唱しごとく、駒掛堂の方へ渡るといふ義おとりて、駒方の渡しと唱し程に、やがてその堂お駒方堂とも唱へたるにや、〈◯中略〉 或雲、子が説のごときは、駒形堂の古名駒掛堂なりしに、其方へ参る渡といふ義おとりて、駒方の渡しと唱しかば、やがて彼堂の名に負はし、竹町の渡お当初花方の渡と唱たるお、並樹の桜あるかたへわたるの義とす、みな是推量の説にして、信用しがたし、かヽる例なほありやといふ、予答て雲、吾妻橋は、吾嬬神社のかたへわたる橋なればこの名あり、例せば麻布こふがへ橋は、国府のかたへ渡るといふ義おとりて、国府方と唱たるが如し、かヽる類、穿鑿せばいくばくもあるべし、