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相馬日記

廿八日、〈◯文化十四年八月、中略、〉市川の渡は、吾妻鏡や、仙覚りしが万葉庭訓に、太井川としるせし河なり、俗には江戸川とよぶ、吾党小竹茂仲のおぢが説に、江戸河といふは、舟人の詞よりあやまれる名なり、そは下総の境、関宿わたりより、此川筋お経て江戸へ通ふがゆえに、舟人のわたくしにさはよびけるお近頃は正しき名ぞとおもへるものもすくなからずといへり、舟おあがれば武蔵国の葛西領なり、市川の関お過るころは雨もやみぬ、