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日本書紀
九神功
援伐新羅之明年、〈◯中略〉命武内宿禰、和珥臣祖武振熊、卒数万衆、令擊忍熊王、〈◯中略〉忍熊王逃無所入、則喚五十狭茅宿禰、而歌之曰、伊装阿芸(いさあき)、伊佐智須区禰(いさちすくね)、多摩枳波屡(たまきはる)、于知能阿曾餓(うちのあそが)、勾夫菟智能(かぶつちの)、伊多氐於破孺破(いたておはずは)、珥倍乃利能(にほどりの)、介豆岐斉奈(かづきせな)、則共沈瀬田済(○○○)而死之、于時武内宿禰、歌之曰、阿布弥能弥(あふみのみ)、【斉多能和多利】珥(せたのわたりに)、伽豆区苫利(かづくとり)、梅珥志弥曳泥麼(めにしみえねば)、異枳乃倍呂之茂(いきのほろしも)、於是探其屍而不得也、然後数日之、出於菟道阿、〈◯阿一本作河〉武内宿禰、亦歌曰、阿布弥能弥(あふみのみ)、【斉多能和多利】珥(せたのわたりに)、介豆区苫利(かづくとり)、多那伽汪須疑氐(たなかおすぎて)、于泥珥等羅倍菟(うぢにとらへつ)、