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源平盛衰記
十九
佐々木取馬下向事 四郎高綱は都にあり、〈◯中略〉佐殿〈◯源頼朝〉謀叛お起給と聞て、〈◯中略〉偸に田舎に下けり、〈◯中略〉知たる者に馬おも乞、乗ばやとは思へども、都近程也、世中つヽましく思ければ、さもなくて、暁は守山お立、野洲の河原に出ぬ、如法暁の事なれば、旅人も未見けるに、草鞍置たる馬追て、男一人見へ来る、高綱、和殿はいづくの人ぞ、何へ渡るぞと問へば、是は栗太の者にて候が、蒲生郡小脇の八日市へ行く者也と答、名おば誰と雲ぞと問へば、男怪気に思て、左右なく明さず、兎角誘へ問ければ、紀介とぞ名乗たる、高綱は、やヽ紀介殿、此河度ん程、御辺の馬借給へかし、紀介、協候はじ、遥の市より重荷お負せて帰らんずれば、我も労て不乗馬也、又今朝の水のつめたき事もなし、唯渡り給へと雲、紀介殿、たヾ借給へかし、悦は思当らんと雲ければ、紀介思様、此人の馬のかりやう心得ず、歩徒跣(かちはだし)にて誰共知ず、我身だにも合期せぬ人の、何事の悦おかし給べき、去共借さずして悪き事もやと思ければ借てけり、高綱馬に打乗、此馬こそ早我物よと思つヽ、空悦して野洲川原お渡つヽ、鞭お打てぞ渉(あゆま)せたる、