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承久軍物語

六月〈◯承久三年〉五日のくれがたには、東山道のせい、うんかのごとく大井のわたりへつきにけり、〈◯中略〉こヽにたけ田の五郎のぶみつは、あまたの子どもの中に、小五郎おまねきて、いくさのならひは、おや子おもかへりみねば、ましてたにんは申にやおよぶ、一人ぬけ出てさきおかけ、かうみやうせんと思ふがほんいなり、女おがさ原の人どもにしられずしてぬけ出、大井のわたりの先陣お、つとめよかしといはれければ、小五郎、それがしもさこそ存候へとて、一二町ぬけ出て、河のはたにすヽみけり、そのせい廿騎とぞみえし、其中にむとう新五郎といふらうどうあり、童名はあらむしやとぞ申ける、すぐれたるすいれんのたつしやなりけるおよび出して、大井のわたりのせぶみして参れとて、さしつかはす、新五郎やがてさしかへり、せぶみおこそしおほせて候へ、但川のにしのきしたかふして、馬おあつかはん事かたし、むかひのわたりせ七八段がほど、ひしおうへながし、河中にはらんぐいおうち、つなおはへ、さかも木お引て、ながしかけたりしお、四五たんほどひきぬきすてヽながし、つなおきり、さかもぎお切て、馬のあげ所には、しるしお立てかへり参りぬ、それおまもらせ給ひて、わたさせ給へとぞ申ける、小五郎きヽもあへず、川に馬おうち入ける所に、〈◯下略〉