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甲子夜話

津軽領三馬屋渡の事 鳥越邸〈◯松浦氏〉の隣家川口久助は、当御代替のとき、陸奥国の巡見に赴し人なり、一日予陸奥より、蝦夷に渡る海路のさかしさお問ければ、答に津軽領の三馬屋より船出し、松前に著とき、船出せし日は、風殊に強く吹て浪高かりしまヽ、日和悪かるべしと言に、船子の言に此渡りに潮道三処あり、潮急にして済ること難し、日和なれば船潮の為に流漂て渡ることお得ず、因てこの如き風力にて済と言しが、いかにも沖へ出、かの急潮の所に至りては、さしも大なる船のさかしまに湧かへり、流行く巨浪に堪かぬべくありしが、強風に吹ぬかれ、その浪お凌、三処の難行お済り著たり、舟中の苦は雲計なしと、かの急潮の所は、たつぴ、中の夕、白上といふなり、又松前の白上山に登り、海面お臨見るに、三の潮道、海面に分り見えて、その潮行のところ、海より隆くあがりて見ゆ、いかにも海底に危石嶮巌のあるゆへ、海潮もこの如きやと雲り、西の国の海路には見聞せざる事なり、