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古事記伝

旧事紀には、此に津守連斎祠住吉雲々とあり、是は右の阿曇連に准て、書添たるなり、津守連は、火明命の後なりと姓氏録に見ゆ、さて此記に墨江之津と雲、右に引る書紀の文にも、大津雲々とあれば、住吉は本より津にて、津守は此津お守し由なるべし、西生郡〈◯摂津〉に津守郷もあるは、其人の住し里ならむ、万葉十一に、住吉乃(すみのえの)、津守網引之(つもりあびきの)雲々、さて此氏の、此神お以伊都久由は、書紀神功巻に、三神誨皇后曰、我荒魂令祭於穴門山田邑也、時穴門直之祖践立、津守連之祖田裳見宿禰、啓于皇后曰雲々とありて、荒魂お穴門に祠たまふ時に、践立おその神主と為たまふ由見えたれば、其後に、和魂お津守に祠給ふ時、かの田裳見おば、その神主と為たまひしなるべし、さて此人にもあれ、子孫にもあれ、兼て津お守りしよりぞ、津守連とは負けむ、