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古事記伝
三十五
高津宮は、書紀に、元年雲々都難波、是謂高津宮、〈◯中略〉難波の地形、今も北は大坂より南へ、住吉のあたりまで、長くつヾきたる岸ありて、〈岸より東は高く、西は低し、〉古は此岸まで潮来り、〈古に島と雲る処々、今はみな陸地つゞけるぞ多き、万葉に、浅(あせ)にけるかもとよめるは、当時既(はや)く此岸までは潮来らざりしにや、〉船著て、難波津は岸の上なりけむ、故高津とは雲なるべし、〈(中略)今世にかうづお高津(かうつ)と書て、此大宮お其処なりと雲ひ其神社お此天皇(仁徳)なりと雲なれども、かうづは、紀孝徳巻に、蝦蟇(かはづの)行宮とあ処るにて、此地名、うつぼ物語の歌にも見えたりと谷川氏雲り、さもあるべし、かうづ、若し古の高津(たかつ)ならむには、今も直にたかつとこそ呼べけ、れいかでかうづとは呼む、〉