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冠辞考
十於
おほともの みつの浜 高しの浜 万葉巻一に、〈太上天皇幸難波宮時の歌、此太上は持統お申、〉大伴乃(おほともの)、美津能浜爾有(みつのはまなる)、忘貝(わすれがひ)雲雲、〈此つゞけ集中にいと多し〉こはとかくすれど意お得ねば、くさ〴〵挙つ、先いにしへ大伴宿禰の遠つおや道臣命は、久米部お主どりて、名高きこと、古き史共に見ゆれば、更にいもはず、巻十八に、家持ぬしの歌に、大伴能(おほともの)、遠津神祖乃(とほつかみおやの)、其名乎婆(そのなおば)、大久目主登(おほくめぬしと)、於比母知氐(おひもちて)、都加倍之官(つかへしつかさ)とよめり、さて神武紀に、〈大御歌〉弥都弥都志(みづみづし)、倶梅能固羅餓(くめのこらか)てふ御ことば多きは、大久米部のみならず、それつかさどる道臣命おもかね給へり、然ればこヽは大伴の弥都々々志てふ意にて、御津の浜に冠らせたるにや、〈◯中略〉御津は、紀に難波御津、万葉に住吉の御津といへるも同じ所にて、神功紀に、大津渟中倉之長峡てふも即同じ住吉の津の事と見ゆれば、御津は大津のいひ也けり、