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長崎志

阿蘭陀著津、平戸より長崎へ被移事、 一寛永十八辛巳年、為上意、向後阿蘭陀船、長崎湊に可令著船旨被仰付之、但去る慶長十三年より寛永十七年迄、三十三け年、平戸に著船し、去冬如例、阿蘭陀人江府為拝礼、平戸より令出達之処、今度右之通被仰出に付、拝礼相済、帰路直に長崎に令来著、出島屋鋪に被令住館、〈◯中略〉 同年入津の阿蘭陀船九艘、直に長崎湊に著船せしむ、則寛永十五年、御制禁になりし南蛮人、其節迄住せし出島の地、明屋鋪となりしお、此時より阿蘭陀人住館に被仰付之、 江戸拝礼之事 一正保四丁亥年六月、南蛮船二艘、当津に入津す、