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麑藩名勝考

同郡〈◯川辺〉坊泊郷坊津村 唐湊〈即坊津、方角集、〉 今雲坊津、武備志、登壇必究等、並作坊津、海東諸国記、作房津、和漢三才図会同之、本朝 三津之一也、筑前博多、伊勢洞津、薩摩坊津、 是より西北、即同郷の内泊村と雲、〈登壇必究、作拖馬里、〉久志秋日郷接比す、〈武備志、久志港、秋日港に作る、〉並に小き奥あり、大舶は繫泊しがたし、昔は皆加世田郷に属せり、 府西南十五里当津は本邦西海の辺垂にして、直に絶域に対望す、昔は支那西洋の通商互市するもの、皆此津に輻湊して自由お得たればとて、唐之湊とは雲へり、後に肥の長崎安奥おもて、諸蕃来朝の榷場となりしかば、おのづから此湊の繁華の地おかへて、終に蕭然たる一漁村とはなりしなり、 頼めども蛋の子さへもみえぬ哉いかヾはすべきからのみなとは、是唐山の客船も入来らず、此浦のさび渡りける比にやよみけらし、昔は市店軒お連ね、楼屋甍お並べ、人煙富庶なりしといふ礎砌など、今は茅のみ巷お塞ぎ、苔むしたる蹟のみぞ残りける、