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日本教育史資料
十二旧鹿児島藩
四書新註和訓、達洛陽之説、 我如竹老師謂、甲斐信玄公之鴻儒、惺窩先生者、天下之英才也、甲斐亡国〈季安按、惺窩集、播州赤松広通善遇惺窩、(中略)甲斐信玄則其為播州赤松広通明矣、〉之後、牢落于洛陽、而愁四書新註無和訓、自到于中華之地欲伝新註之奥儀点和訓、故西欲下房津(○○)〈即薩州防津也〉赴中華、隔風泊船于山川津、 ◯按ずるに、惺窩文集載する所の惺窩先生行状には、欲入大明国、直到筑陽、泛冥渤、逢風涛、漂著鬼海島、とありて、房津に下るの事なし、