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源平盛衰記
二十六
入道非直人附慈心坊得閻魔請事 福原の経島築れたりし事、直人のわざとは覚へず、彼島おば阿波民部大輔成良が承て、承安二年癸巳年築始たりしお、次年南風忽に起て、白浪頻に扣かば、打破られたりけるお、入道〈◯平清盛〉倩此事お案じて、人力及難し、海竜王お可奉宥とて、白馬に白鞍お置、童お一人乗て、人柱おぞ被入ける、其上又法施お手向可奉とて、石面に一切経お書写して、其石お以て築たりけり、誠に竜神納受有けるにや、其後は恙なし、さてこそ此島おば経島とは名附たれ、上下往来の船の恐れなく、国家の御寳、末代の規模也、唐国の帝王まで聞へ給つヽ、日本輪田の平親王(○○○○○○○○)と呼て、諸の珍寳お被送、帝皇へだにも不参に、難有面目なりき、