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古事記伝

水戸(○○)は〈水門と書るも同じことなり〉美那斗と訓べし、〈古く美斗と雲訓も有て、今はたさる地名もあるなれば、然読むも悪きにはあらず、土左日記に、あはのみとお渡るとあり、〉書紀、武烈巻の大御歌の之褒世お、一本に弥儺斗と有と分注あり、又斉明巻の大御歌にも、弥儺斗と雲ことあり、万葉歌にも多し、〈美斗とよめるは見えず〉即水之門の意にて、門は海の出入る戸口なり、〈島門、河門なども雲、〉書紀、神代巻に、乃往見粟門及速吸名門、然此二門雲々、仲哀巻に、自穴門至向津野大済為東門、以名籠屋大済為西門などあり、那は之に通辞なり、〈右の速吸名門の名お、神武巻には之と作るにて知べし、猶例多し、和〉〈名抄には、湊和名三奈止とあり、俗にも此字お用ふ、〉