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亜墨利加国条約並税則
帝国大日本大君と、亜墨利加合衆国大統領と親睦の意お堅くし、且永続せしめんために、両国の人民貿易お通ずる事お処置し、且交際の厚からん事お欲するがために、懇親及び貿易の条約お取結ぶ事お決し、日本大君は、其事お井上信濃守、岩瀬肥後守に命じ、合衆国大統領は、日本に差越たる、亜墨利加合衆国のこんしゆるぜ子らーる〈官名〉とうんせんとはるりす〈人名〉に命じ、双方委任の書お照応して、下文の条々お合議決定す、〈◯中略〉 第三条 下田箱館(○○○○)の港の外、次にいふ所の場所お左の期限より開くべし、神奈川(○○○) 午三月より凡十五け月の後より 西洋起元千八百五十九年七月四日 長崎(○○) 同断 同断 新潟(○○) 同断凡二十け月の後より 千八百六十年一月一日 兵庫(○○) 同断凡五十六け月の後より   千八百六十三年一月一日 若新潟港お開き難き事あらば、其代りとして同所前後に於て一港お別に撰ぶべし、 神奈川港お開く後、六け月にして下田港は鎖すべし、此箇条の内に載たる各地は、亜墨利加人に居留お許すべし、〈◯中略〉 第七条 日本開港の場所において、亜墨利加人遊歩の規定左の如し、 神奈川 六郷川筋お限とし、其他は各方へ凡十里、 箱館 各方へ凡十里 兵庫 〈京都お距る事十里の地へは、亜墨利加人立入ざる筈に付、其方角お各方へ十里、且兵庫に来る船々の乗組人は、猪名川より海湾迄の川筋お越べからず、〉 都て里数は、各港の奉行所、又は御用所より陸路の程度なり、〈一里は亜墨利加の四千二百五十五やーると、日本の凡三十三町四十八間一尺弐寸五分に当る、〉 長崎 其周囲にある御料所お限とす 新潟は治定の上、境界お定むべし、〈◯中略〉 本条約は、〈◯中略〉此取極のため、安政五年午六月十九日、〈即千八百五十八年、亜墨利加合衆国独立の八十三年七月廿九日、〉江戸府において前に載たる両国の役人等名お記し、調印するもの也、 井上信濃守〈花押〉 岩瀬肥後守〈同〉