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長崎記

長崎町開基并南蛮船初長崎に来事 一南蛮船、天文の比より永禄十二年までは、大隅の内種子島、豊後、又は福田、横瀬浦などヽいふ所に著船して、其所々にて商売おす、しかれども蛮夷こヽろに応ずる湊なし、然るところに長崎の湊海底深く、三方山高有て難風凌よく、第一の湊なりと見立、元亀元年に初て長崎江著船す、因滋上方諸国の商人仮屋お立商売す、其比今の内町は、大村の領主大村民部入道理専領知なり、就夫理専家来友永対馬と雲者お差越、蛮夷共末々までも此地江於著岸は、町お可取立よし約束いたし、則元亀二年に町割おなし、国々所々より集候もの同国一所に置其国の名おつけ、豊後町、大村町平戸町、五島町などヽ名づけ、町の頭人定、今の町年寄の先祖是也、