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和漢三才図会
六十五陸奥
白川関 在白川郡〈城下〉 地名雖称川非川、而山渓間也、孝徳天皇朝所立、是諸国関之最初也、 ◯按ずるに、享禄本類聚三代格に載する所の、承和二年十二月の官符に、応准長門国関勘過白河菊多両剗事と題して、其文に、右得陸奥国解称、撿旧記置剗以来、于今四百余歳矣、と見えたり、今之お逆算するに、凡そ允恭天皇の朝に当れり、果して此の如くならば、三才図会の説く所、恐くは誤あるべし、