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新編相模国風土記稿
二十一足柄上郡
飛鳥井参議雅経の歌によれば、承元建保の頃は、定まる関はあらざりしと見えたり、〈◯註略〉雅経は承久三年五十二歳にして薨ぜし人なり、全く廃蹟となりし年暦は伝へず、関東御打入の後は、今の処に関所お建られしなり、