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守国公御伝記

江戸の藩屏緊要の地、伊豆安房の海岸備御の設無んば有可らざるに因り、兼て密に建議有しに、寛政四年十一月十七日総宰の命お蒙り、明年〈癸丑〉三月巡見なし玉ふ、〈◯中略〉帰路根府川の関門に至り、此辺親く見玉はん為にや、歩行にて関前お通行の時、塗笠お用い玉いしに、関吏馳出、供奉の輩に就て、関前は笠冠る間敷法也と告奉りければ、実に心得たりとて脱せ玉ひぬ、此夜小田原に止宿有せられ、城主の老臣に関守の事語り玉ひ、雲々の事にて我も過お免れたり、其者へ謝詞宜く執成あるべしと懇語有ければ、老臣畏りて退き、程なく侯〈加賀守大久保忠顕〉より賞として、席お進め俸お増与へられしとぞ、〈此人大木多治馬とて、甚篤実にして、平常同輩の中さへ謙巽なるが、此関門に勤番するに付ては、関の法お能く心得べしとて、繰返し記億せし故斯有しと聞玉ひ、忠篤の志お感じ玉ひしとなり、〉