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義経記

三の口の関とほり給ふ事 夜もすでにあけたれば、あらちの山お出で、えちぜんの国へいり給ふ、あらちの山の北のこしにわかさへかよふ道有、のらみ山に行みちも有、そこお三の口とぞ申ける、えちぜん国のぢう人つるがの兵衛、かヾの国の住人井上さえもん両人承て、あらちの山の関屋おこしらへて、夜三百人ひる二百人の関もりおすへて、せきやのまへにらんぐひお打て、色もしろく、むかばのそりなどしたる者おば、みちおもすぐにやらず、判官殿とてからめおきて、きうもんしてぞひしめきける、〈◯中略〉扠十よ人の人々、とてもかくてもと、うちふてヽ、せきやおさしてぞおはしける、十町ばかりちかづきて、せいお二手にわけたりけり、はうぐわん殿の御供には、むさし坊、かたおか、いせの三郎、ひたち坊、是おはじめとして七人、今一手には北のかたの御供して、十郎ごんのかみ、ねのお、くま井、かめ井、するがきさんだ、御ともにて、其あひ五町ばかりへだてける、さきのせいは木戸口に行むかひたりければ、関守是お見て、すはやといふこそ久しけれ、百人ばかり七人お中にとりこめて、是こそ判官殿よと申ければ、つなぎおかれたるものども、ゆくへもしらぬ我等に、うきめお見せ給ふ、これこそ判官の正じんよとおめきければ、身の毛もよだつばかりなり、判官すヽみ出て仰られけるは、そも〳〵はぐろ山ぶしのなに事おして候へば、これほどにさうどうせられ候やらんとの給へば、なんでうはぐろ山ぶし、九郎判官殿にてこそおはしませと申ければ、此関屋の大将軍はたれ殿と申ぞととひ給へば、当国の住人つるがのひやうえ、かヾの国の井上左衛門と申人にて候へ、兵衛はけさ下り候ぬ井上は金津におはすると申ければ、しうもおはせざらん所にて、はぐろ山ぶしに手かけて、主にわざわひかくな、そのぎならば此おひの中にはぐろのごんげんの御正体、くわんおんのおはしますに、此関屋お御むろ殿とさだめて、八重のしめおひきて御さかきおふれとぞ仰られける、せき守ども申けるは、げにも判官にておはしまさずば、そのやうおこそ仰らるべく候に、主にわざわひおかくべからんやうはいかにぞととがめける、べんけいこれお聞て、かたのごとくせんだち候はんずる上は、山ぼうし原が申事お御とがめ候てはせんなし、やあやまと坊そこのき候へとぞ申ける、いはれてせきやのえんにい給へる、是こそ判官にておはしましけれ、弁慶申けるは、是ははぐろ山のさぬき坊と申山伏にて候が、くま野に参りて年ごもりして下向申候、九郎判官殿とかやおば、みのヽ国とやらんおはりの国とやらんより、いけどりてみやこへ上るとやらん承候しか、はぐろ山ぶしが判官といはるべきやうこそなけれと言けれ共、なにとちんじ給へ共、弓に矢おはげ太刀長刀のさやおはづしてぞいたりける、あとの人々も七人つれてぞきたりける、いとヾせき守共さればこそとて、大ぜいの中に取こめて、たヾ打ころせとおめきければ、北のかたきえ入心ちし給けり、あるせきもり申けるは、しばらくしづまり給へ、判官ならぬ山ぶしころして、後の大事なり、せき手おこうてみよ、昔より今にいたるまてはぐろ山ぶしのわたしちんせき手なす事はなきぞ、判官ならばしさいおしらずして、せき手おなしてとほらんといそぐべし、げんの山伏ならば、よもせきておばなさじと、これおもつてしるべきとて、さか〳〵しげなる男すヽみいでヽ申けるは、所せん山ぶしなりとても、五人三人こそあらめ、十六七人の人々にいかでか関手おとらでは有べき、せき手なしてとほり給へ、かまくら殿のみげうしよにも、かうげおつけきらはず、せき手おとつて関守共の兵粮米にせよ(○○○○○○○○○○○○○○○○○)と候間、関手お給候はんとぞ申ける、弁慶いひけるは、事あたらしき事お承候ものかな、いつのならひにはぐろ山ぶしのせき手なすほうや有、れいなき事はかなふまじきといひければ、せきもり共是お聞て、判官にてはおはせぬと雲も有、あるひは判官なれども、世にこえたる人にておはしませば、むさし坊などヽいふものこそかやうにはちんずらめなど申、又あるもの出て申けるは、さ候はヾ、くわんとうへ人お参らせて左右お承り候はんほど、是にとヾめおき候はんと申ければ、弁慶これはこんからどうじの御はからひにてこそ、関東の御つかひ上下の程、せきやのひやうらうまいにて、道せんくはで御きたう申て、心やすくしばらくやすみて下るべしとて、ちつともさわがず、十ちやうのおひおばせきやの内にとり入て、十よ人の人々むら〳〵と内に入てつヽとしてぞいたる、猶も関守あやしく思ひけり、弁慶関守にむかつて、〈◯中略〉是にてしばらく日数おへ候はん事こそうれしく候へと物語などして、わらんづおぬぎてせんそくし、思ひ〳〵にねぬおきぬなど、したりがほにふるまひければ、関守共是は判官にてはおはせぬげなり、たヾとほせやとて、せきの戸おひらきたれ共、いそがぬ体にて、一どには出ずして一人づヽ二人づヽしづかに立やすらひ〳〵てぞ出給ふ、ひたち坊は人よりさきに出たりけるが、跡おかへりみければ、判官とむさし坊といまだ関のえんにぞい給へり、弁慶申けるは、関手御めん候上は、判官にてはなしといふ仰かうぶり候ぬ、かた〴〵もつてよろこび入て候へ共、此二三日少人〈◯義経の妻、女の久我大臣の仮称〉に物参らせ候はず候へば、心ぐるしく候、関屋の兵らうまいすこし給候て、少人に参らせてとほり候ばや、かつうは御きたう、かつうは御情にてこそ候へと雲、〈◯下略〉