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古事記伝
三十九
意富袁爾波(おほおには)は、契冲雲、大峡者(おほおには)なり、山口祭の祝詞に、奥山乃大峡小峡爾立留木乎(おくやまのおほおおおにたてるきお)雲々、日本紀に、峡お乎とよめりと雲り、〈書紀に、峡お乎と訓るは、神功の巻に、長峡(ながお)などある是なり、又丘おも乎と訓り、畝丘頓丘(うねおひたお)など是なり、又万葉に、向峯八峯(むかつおやつお)などもあり、如此字はさま〴〵に書けれども、袁と雲名は一つなり、〉 波多波理陀氐(はたはりだて)は、幡羅建(はたはりだて)か、佐袁々爾波(さおヽには)は、真小峡(さおヽ)にはなり、意富袁爾斯(おほおにし)は、於大峡にて、斯は助辞なり、