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東遊記
後篇五
名山論 余幼より山水お好み、他邦の人に逢へば必名山大川お問ふに、皆各其国々の山川お自賛して天下第一といふ、甚信じ難し、既に天下おめぐり、公心お以て是お論ずるに、山の高きもの富士お第一とす、又余論なし、其次は加賀の白山なるべし、其次は越中の立山、其次日向の霧島山、肥前の雲仙岳、信濃の駒が岳、出羽の鳥海山、月山、奥州の岩城山、岩鷲山也、是に次で豊前の彦山、肥後の阿蘇山、同国久住山、豊後の姥が岳、薩摩の海門岳、伊予の高峯、美濃の恵那岳、御岳、近江の伊吹山、越後の妙高山、信濃の戸隠山、甲斐の地蔵岳、常陸の筑波山、奥州の幸田山、御駒が岳等也、其余は碌々論ずるに不足、伯耆の大山、上野の妙義山は、余いまだ是おみず、其高低お知らず、出羽の羽黒山のごとき、其名甚高けれども、其山は甚低し、都の鞍馬山程には及びがかし、湯殿山も、叡山よりは低かるべくみゆ、是は仏神垂跡の地ゆえに、参詣の者多きによりて、其名高き也、山の姿峨々として、嶮阻画のごとくなるは、越中立山の剣峯に勝れるものなし、立山は登る事十八里、彼国の人は富士よりも高しと雲、然れども越中に入りて、初て立山お望むに、甚高きお覚えず、数月見て漸々に高きお知る、是は連峯参差たるゆえ也、最高く聳え、たがいに相争ふ程なる峯五つあり、剣峯も其一也、其外にも峯々甚多く連り、波涛のごとく連り、皆立山なり、此ゆえに、たとへば都の北山お望むがごとし、遠くより見るに、何れお鞍馬山とも、称しがたきがごとし、是おみても、人多能なる者は、反て其名お失ふお慎むべし、白山は唯壱峯にて、根張も大に、殊に雪四時あり、て白玉お削れるがごとく、見るより目覚る心地す、又山の姿のよきは、鳥海山、月山、岩城山、岩鷲山、彦山、海門岳なり、皆甚富士に似て、一峯秀出画がけるがごとし、又景色無双なるは、薩摩の桜島山也、蒼海の真中に隻一つ離れて独立し、最嶮峻なるに、日光映ずれば、山の色紫に見え、絶頂より白雲お蒸がごとく、煙り常に立登る、たとへば青畳の上に、香炉お置たるがごとし、大抵海内の名山是等に留るべし、其山内の奇絶は、又別に書あり、今此所には仰望む所お論ずるのみ、