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閑田耕筆

嵯峨の嵐山は、昔よしのおうつされて、蔵王権現お勧請あり、千本の桜お栽られし所なるお、貞享の年間に著せし山州名跡志には、土地にふさはぬにや、今はさくらなしと書り、さるお近世は桜あまたにて、都下の壮観となりぬ、是も二十年前迄は、唯好士のみ遊びて、大かたの人はおむろに聚り、帷幕数十百おもて算へしに、今かしこはおとろへ、大井の川辺煩らしきまで茶店軒お並べ、水上は舟連行絃歌かまびすしく、なべてこヽお花の湊とす、世界の変遷かくのごとし、