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古事記伝
三十六
那良(なら)山口、那良は上に出つ、〈伝二十五の二十二葉〉山口は夜麻能久知(やまのくち)と〈能お添へて〉訓べし、月次祭の祝詞に、山能口坐皇神等乃雲々とあればなり、さて此の山は山城国相楽郡より大和国添上郡奈良お越る道にて、いはゆる奈良坂なり、〈◯中略〉さて書紀には、時に皇后不泊于大津、更引之遡江、自山背廻而向倭雲々、即越那羅山、望葛城歌曰とありて、御歌は此の記と全同じ、かくてこれに越那羅山、雲々とあるに依れば、此の記に山の口とあるは、那良の方より上る山の口なり、