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古事記伝
十九
畝火(う子び)は、大和国高市郡にある山の名なり、此の下なる大后の御歌に、宇泥備夜麻(うねびやま)と見え、書紀欽明の巻の歌にも見え、允恭巻に新羅の客が、此の山お愛て宇泥咩巴揶(うねみはや)と雲ること、又推古の巻に畝傍の池、皇極の巻に蘇我の大臣の畝傍家、〈此の畝の字お、釈紀にも今の本にも敏に誤て、としかたのいへと訓るはひがことなり、〉続紀に文武天皇四年八月に、此の山の樹木の故なくして、枯たりしことも見ゆ、万葉一〈十一丁〉には、雲根火(うねび)、耳梨(みヽなし)、香山(かぐやま)と三山の妻競の近江の宮の天皇の大御歌、又〈二十三丁〉藤原の宮の御井の歌に畝火乃(うねびの)、此美豆山者(このみづやまは)、日緯能(ひのよこの)、大御門爾(おほみかどに)、弥豆山跡(みづやまと)、山佐備伊座(やまさびいます)、二〈三十八丁〉に軽市爾(かるのいちに)、吾立聞者(わがたちきけば)、玉手次(たまだすき)、畝火乃山爾(うねびのやまに)、鳴鳥之(なくとりの)、音母不所聞(おともきこえず)、四〈二十三丁〉に、天翔哉(あまとぶや)、軽路従(かるのみちより)、玉田次(たまだすき)、畝火乎見管(うねびおみつヽ)などよめり、書紀の此の御巻に、畝傍山此お雲宇禰縻夜摩(うねびやま)とあり、神名帳大和の国高市郡畝火の山の口に坐す神社〈大月新次嘗〉あり、さて今北山の東南の麓に、畦樋(うねひ)村と雲ふあるなり、〈今、土人(くにびと)は樋お清て呼り、然れども古書には備字などお用ひて、皆濁音なり、〉